【吉見一起引退】今中、山本昌、吉見が発した「悔いと後悔」の意味

悔いと後悔野球

先日、中日ドラゴンズの吉見一起選手が今シーズン限りでの現役引退を表明し、引退試合と引退会見を行いました。

その中で、印象に残った言葉があります。
引退することに悔いはないかと問われ、以下のように応じています。

「悔いはないです、ただ後悔はあります。」

これを聞いてピンと来た人も多いと思います。

そう、ドラゴンズ一筋で引退した過去の2人のエース、今中慎二投手と山本昌投手も引退時に似た言葉を発していたのです。

今中→山本昌→吉見と、ドラゴンズに入団し、一筋で現役を終えた3人の系譜を考えると震えました。

ここでは、そんな三人の引退時の言葉と、成績をまとめてみました。

今中慎二

「後悔はありません。ただ、悔いはあります」

2001年の引退会見での今中選手のコメントです。

ネット上で全文を探してみたのですが見つからず、細かい言い回しに間違いはあるかもしれませんが、こんな言葉を残しました。

「んー、まぁ、悔いはあります」
この部分はハッキリこういった事を覚えています。

細身でスラっとした体形から、あまり力を入れずに投げているように見えるのに、150km/h近いストレートと、たまたま会得したという超スローカーブで、バッサバッサと相手打者を打ち取る今中投手。

あまり喜怒哀楽をマウンド上で見せず、インタビューなどでも淡々と喋っている印象があり、ちょっと怖い人なのかな、と私は思っていましたが、引退会見で涙ぐみ、サンドラなどのテレビ番組に出演した際にも、言葉を出せないくらいに涙を流している姿を見て、私ももらい泣きした記憶があります。

今中投手の成績

通算成績は、91勝69敗5セーブ

間違いなく90年代(特に中盤まで)の中日ドラゴンズのエースでした。
同じサウスポーの山本昌投手と、二枚看板として活躍していましたが、安定感では今中投手が抜群に上だったと記憶しています。

・25歳シーズン(高卒8年目)までに87勝を挙げている
・今では考えられない4年連続二けた完投(1993年から14、14、15、11)

この辺が特にすごいなぁ、と。

1997年のキャンプ中の怪我により、その後たった4勝で現役を終えますが、怪我さえ無ければ、とつくづく惜しまれます。

印象深いエピソード

幼少時代の偶然がきっかけで左投げに

今中投手はもともと右利きだったそうです。

それが何故左投げとなったのか。
左投手の方が希少で有利だから、とかの理由でなく、なんと、兄たちにグローブを使われて自分のものが無かった時に、たまたま近所のおばさんがくれたのが左用のグローブだったから、との事。

ドラゴンズ伝説のサウスポーが生まれた起源がこんな理由なんてびっくりです。

大阪桐蔭時代にPL学園(立浪世代)と対戦した話

これは確か、名古屋テレビ(メ~テレ)で伊集院光がメインでやっているspokenという番組に、アンタッチャブルのザキヤマと今中さんがゲスト出演していた時の話。

高校野球特集の回だったと思いますが、今中投手が自身の高校時代の思い出を語っていました。

今中投手は今の大阪桐蔭高校出身。まだそれほど強豪というほどではなく、当時はやはりPL学園が突出していた頃。

3年生が抜けた後の1年秋の府大会で、PL学園と対戦。
その時のPLは、後に甲子園春夏連覇を達成する、立浪や野村、橋本、片岡などが最上級生(2年生)にいて、試合は大阪球場で開催。

当時、まだプロ野球のパ・リーグは人気が無く、プロの試合でも大阪球場の客席が埋まらない中、PLの試合は人気が高く、その試合もお客さんがいっぱいに埋まっていたとの事。

試合は惜しくも0-1でPL学園に敗れたものの、今中選手は好投。
取られた1点も微妙な判定を審判がセーフとジャッジしたせいだと(PL贔屓したのだと)冗談交じりに語っていました。

また、試合後、女の子たちが「きゃーっ」と何人か近寄ってきたので、PLを相手に好投したことで「(俺の時代が)来たな」と思ったところ、「どけっ」と払いのけられてしまい、去っていった女の子たちが向かった先を確認すると、立浪らPLの選手たちがいたとの事でした。

伝説の10・8決戦で先発

残り一試合を残して、ジャイアンツと同率首位で迎えた1994年最終戦、いわゆる「10・8決戦」。
今ではプロ野球のたった1試合で起きる現象として考えられないかもしれませんが、あの時の日本中のお祭りムードは凄かったです。

そのシーズン、NPB初の200本安打を達成したイチロー選手もナゴヤ球場に観戦に来る中、ドラゴンズの先発マウンドに立ったのが今中選手でした。

その年、山本昌投手は19勝をあげ二年連続となる最多勝と、シーズン後に沢村賞も受賞しますが、立浪選手や中村武志捕手ら選手たちから、「勝っても負けてもいいから、先発マウンドに立ってくれ」と頼まれたとか。

結果、4回5失点で降板し、ドラゴンズも優勝を逃しましたが、それほどまでにこの頃の今中投手はファンだけでなく選手たちからも信頼感が抜群だったのですね。

山本昌

「後悔はしてないです。でも、悔いはたくさんあります」

続いて山本昌投手の2015年の引退会見時の言葉です。

その時その時で精いっぱいやってきたから、後悔はない。
でも、もっと出来たんじゃないか?という意味で悔いはある。

90年代、全盛期だった山本昌投手との二枚看板として活躍した今中投手の引退時の言葉を意識していたのか、たまたま被っただけなのか。

いずれにしても、この言葉を聞いた時、震えました。

山本昌投手の成績

通算成績は、219勝165敗5セーブ

とは言え、数字以上にこの人は、長く現役を続けたことが印象深いです。

・NPB史上初の50歳代での出場、登板
・歴代一位タイの実働年数29年
・NPBのみの記録では2020年時点で最後の200勝投手

しかも、ただ長く現役でいたというだけでなく、40歳代後半の2012年シーズンや2013年シーズンに先発として10登板以上しており、普通に戦力として戦えているところがすごいです。

引退会見時にも、「全盛期は1993年1994年あたりだったが、技術は今が一番上。若いころのように体力さえあれば20勝しているでしょうね」と語っており、常に技術の向上を目指し、実際に自身でもそれを感じていて自信があったのでしょう。

また、セ・リーグはDH制ではないので、打者としての最年長打席といった記録も持っています。

印象深いエピソード

1994年に19勝で最多勝

20勝投手がなかなか出なくなってきた1990年代、19勝での最多勝というのは凄かったという思いと、後から思うとなんとかあと一勝して20勝に乗っていたらもっと印象深かったな、と。
(最後の登板で勝利を挙げての19勝なので言っても仕方ありませんが)

ちなみに、この年は今中投手の項でも触れた、伝説の10・8決戦があった年。

山本昌投手は10/6に登板しており、通常であれば登板しないのは当たり前ですが、ジャイアンツの方は同じ10/6に登板していた斎藤雅樹や槇原寛己が最終戦にも先発・二番手で登板していたので、今中投手が先発したのは当然として、リリーフとして山本昌さんが登板していても面白かったかな、と思います。

ただ、そういう無茶な登板が無かったからこそ、長く現役を続けられたというのもあるのかもしれませんね。

プロ野球最年長でのノーヒットノーラン(準完全試合)達成

2006年に、41歳で今現在も破られないNPB最年長ノーヒットノーランを達成しています。

この試合、最年長達成という事以上に印象に残っている事があります。

この試合は、無四死球での達成となっており、許した走者はエラーによる一人のみという準完封。
1失策は森野が4回に犯したものでした。

森野は落ち込んだようですが(それが無ければ完全試合の為)、「序盤にあのエラーでランナーを出していたからリラックスできて、結果ノーヒットノーランを達成できた」という趣旨の発言を山本昌投手がしているのを聞いて、感動した記憶があります。

吉見一起

「悔いはないです。ただ後悔はあります」

さあ、吉見選手です。

2020年11月05日、数日前に引退を表明していた吉見選手が会見を行いました。
その中で、今中投手や山本昌投手の言葉と同じ、「悔い」と「後悔」という言葉を使って、以下のような発言をしていました。

悔いはないです、ただ後悔はあります。
振り返ればたくさんありますが、もっと練習しておけばよかったとか、あの場面でなぜあれを選択したのかなとか、言えばきりがないですが、振り返れば、ああしておけばよかったなという後悔はあります。 あとはケガです、ケガをした時にそこでストップしておけばよかった。

中日ドラゴンズ Official Website(https://dragons.jp/news/2020/20110501.html)より

今中選手や山本選手は「後悔」は無くて「悔い」はある。
吉見選手は、逆で、「悔い」は無いけど「後悔」はある。

もし、二人の発言を意識していたのだとしたら、逆にはしないでしょうから、偶然なのでしょうか。

意識してのものなのか、偶然なのか、いずれにしても美しいですね。

今中、山本昌の後にも、野口茂樹や川上憲伸といった、素晴らしい先発ピッチャーが出てきましたが、二人ともドラゴンズ一筋では終わりませんでした。

今中→山本昌→吉見という流れは、ドラゴンズ一筋で現役を終えたエースの引退会見での系譜と言えそうで、なんだか嬉しくなります。

吉見投手の成績

吉見投手の通算成績は、89勝54敗0セーブ
今中投手と近い数字ですね。

2009年に16勝、2011年には18勝。
2004年から2011年の落合政権8年間は、すべてAクラス、1位4回、日本一1回というドラゴンズの黄金期でしたが、その中で特に後半の4~5年間はエースとして大活躍しました。

印象深いエピソード

チェンとの二枚看板、浅尾→岩瀬と繋ぐ必勝リレー

吉見選手の全盛期とほぼ同時期にドラゴンズで活躍したチェン投手との二枚看板。
チェン投手は防御率が良く安定感がある割に勝利数が伸びなかった印象ですが、この二人がいる事で、落合政権の後半はスターターは盤石でした。

そしてこの二人から、浅尾→岩瀬と繋ぐ必勝リレー。

6回くらいまでをリードしていれば勝てる体制だったこと、一人のエースピッチャーに依存していなかったことが、大きかったですね。

球界ナンバーワンのコントロール

フジテレビの深夜にやっていた「すぽると!」の中の一企画だったと思いますが、2011年に現役選手の多くにアンケートを取って、「〇〇ナンバーワン」を決めるという企画の中で、コントロールナンバーワンピッチャーとして吉見一起選手が選ばれていました。

2011年というと、ダルビッシュや田中のマー君、前田健太投手などがまだNPBで大活躍していた時期ですね。

ちなみに、この時2位に選ばれていたのが田中のマー君でした。

また、2015年にも同様の企画があった時、1位に選ばれていたのが、トヨタ自動車の先輩にあたる金子千尋投手だったのも印象深いです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。

今中投手から、山本昌投手、吉見一起選手と続く、ドラゴンズ一筋で活躍したエースの「悔い」と「後悔」という言葉を使った引退時のコメント。

タイプはそれぞれ違いますが、3人とも剛速球やスピードボールで勝負するというよりも、コントロールや球のキレなどで勝負するピッチャーというのも興味深いです。

今年、FA権を取得し、去就が注目される大野雄大投手が、この系譜に連なる可能性がある投手と言えるかと思います。

なんとかドラゴンズに残ってもらい、この流れを継承してくれると嬉しいなと思います。

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